凄腕プログラマーとともに極めるスケジューリングの最適化~高橋邦芳

2023.02.20X1:アスプローバ社員インタビュー

 アスプローバ社の創業者、高橋邦芳さんに、創業から未来の構想までを聞いています。販売が軌道に乗った生産スケジューラも、不断の改良が必要でした。そして規模を拡大し海外支店も設けました。2019年には田中智宏さんに社長を譲り、代表取締役会長となりました。後半は新たな開発と、将来を見据えた事業の話です。

設計に没頭した8か月

ー 創業期を乗り越えた後、一番大変だったのはどんなことですか

 ちょうど2000年ごろ、Asprova APSを設計しました。それまでの製品をゼロクリアして、初めから作り直しました。プログラマーは何人かいたけれども、何を作ろうとしているのか詳細がうまく伝わらない。よし、設計は全部1人でやろう、と決めて、8カ月の間、寝ても覚めても、平日は夜遅くまで、土日は夕方まですべての時間を設計に費やしました。なるべく早く作りたかったから。

 何とかできたのですが、そこで疲れ切り、コードを書く力は残っていません。そこから入社したばかりの田中さんが活躍してくれました。外国人チームも参加しました。大変な開発だったと思いますが、03年に市場投入することができました。それが現在まで続いているAsprovaです。今からみても、アーキテクチャはそんなに悪くないと思っています。

Solverと新UIで世界へ

ー 最近の様子を教えてください

 2012年に西五反田の現本社に移りました。17年ごろからルールベースでない、自動で最適解を探索するスケジューリングロジックを構想し始めました。東京工業大学と5年間の共同研究をしました。その結果できたのがSolverです。優れたプログラマーたちの手によって開発が進み、Asprovaのオプション機能として22年に市場投入できました。

 また時代が変わるとデザインも古くなります。やはり新しいものにしなくてはなりません。それでUI(ユーザー・インターフェイス)の刷新も進めています。Solverと新UIにより、世界中で一番選ばれるスケジューラになる、というのが目標です。

 Solverがすごくうまく動くようになると、従来のAsprovaは使わなくてよくなるかもしれません。ただまだ階段の下の方を登り始めた段階で、目標はもっと高いところにあります。

 採用の問題は解決しそうです。優秀な人が続々と入社してくれるようになりました。報酬もやや高めに設定しました。プログラミングコンテストを定期的に開催して、この会社面白そうだな、と思ってもらいます。とりあえずアルバイトで働いてもらって、いい人は正式に採用する。そんな方法です。

 すご腕の人になると、書く前にもう頭の中で設計図ができあがっているのです。プログラム自体がだいたいできている。最近「夢を持って一生懸命働きたい」と言ってくれるプログラマーもいて、「これだよ!」と感じました。

 大正末期に東京市長を務めた後藤新平の最期の言葉は「金を残して死ぬ者は下だ。仕事を残して死ぬ者は中だ。人を残して死ぬ者は上だ」です。その続きは、ある人によると「特上は夢を残すこと」だそうです。夢を持てることが大事なのです。

ー 現時点の課題は何でしょう

 少し先の未来を読むということです。社内ミーティングでは、さまざまな小チームで討論をしています。去年の秋くらいから「12か月先のことをディスカッションしよう」と呼び掛けました。今はこうやっているけれど、この先どうなるか考えてみようというわけです。1年と言わず12か月としたのは、3カ月ごとなどに割って、細かく考えるようになるからです。社員の中には未来予想が得意な人もいて、実際に12カ月先を考えるようになっています。そうなると私はもっと先を考えなくてはいけなくなります。先手を打ち、仕事をやりやすくするのが狙いです。

 夜空を見上げた時、北極星というのは動きません。そういう目標を掲げるのが経営者だと思います。未来は先になればなるほど不確実性は高くなるけれども、正しいと思われる方向に十分な投資をして、すべてのメンバーがそちらに進んで行くようにすることを考えています。

 昨年あたりから、高い技能を持つフリーの人を活用しています。デザイナーなどの職種ですが、やってみたらうまくいきました。センスのいい人は先を考えてやってくれます。いろんな事情で地方にいる人とか、コンビニでアルバイトしたら1000円の時給ですが、ずっと高い報酬が得られます。

運用者を育てたい

ー 数年先を見据えてやりたいことは

 Asprovaを導入・運用・保守する人を育てたいですね。Asprovaを使うのは、Solver以外の部分はそんなに難しくないのです。とはいえ、販売代理店が育成に苦労しているという現実もあります。配属時に適性がわからないから、中には拒否反応起こす人もいます。技術者を私どもの本社にそろえておけば、遠隔操作でAsprovaを動かすことができます。これから1年くらいかけて、育成に着手したい。

 ある米国在住者が西五反田の本社に来て「5年先の会社の姿が見えます。このビル、もう1フロア借りています。オペレータがいて、世界中のアスプローバを動かしている姿が浮かびます」と話していました。各社が導入・運用・保守の特殊技能者を育成する必要はなく、10人か20人が本社にいて、そこで仕事をしてくれる。そうした5年~10年先の絵を描いています。

ー 仕事以外の楽しみはありますか

 北海道の津別に土地を購入して、保養所を建てました。月に10日くらいは、自然に囲まれてほとんど人がいない環境で過ごしています。以前から北海道は好きで、しばしば行っていました。北海道の中でも人口希薄な道東で、あまり観光客が来ないようなところを選びました。北海道でサイクリングをするのが今の楽しみです。(終)

1958年浜松市生まれ。東工大修士課程を修了後、ベンチャー企業の先駆であったコスモエイティに就職、第一の起業を経て、1994年、スケジューラー研究所(現アスプローバ)を創立。東京都在住。

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