アメリカ大陸横断自転車の旅 1980/7/31~8/1

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NEW YORK

【Cornel大学】
1980/7/31

 7時になっても、8時になってもだれもおきようとしない。
 早く出発したいのにこまったなあと思いながら、8時半ごろ『もう出発しなくてはならないので・・・・・・』と言って出発のしたくをして9時に出た。
 快晴だ。ちょうど《79》にぶつかったので《79》で行く。30分ぐらい走ったところで、パンとミルクを買い、たべ、どんどん走り、昼ごろWhitney Pointにつき《17》が走れると聞いたので、《17》でいくことにきめ、レストランでライス プディングをごちそうになったりした。
 《11》をBigytentonまで走り、そのまま《11》にはいる。
 起伏はさすが山岳地帯だけあってかなりある、が、6%以内というやつであろう。
 Libertyには20:10につき、どこにとまろうか野宿にしようかを考えながら走っているうちにとなりの街まで走ってしまい、Motelが高そうなので、野宿にすることにして、バーガーキングにはいり、サンドイッチをたべる。
 もう100マイルをきっている(NYまで)、9時半ごろ林の中でねようと行くが、この前のこともあってちょっと神経質になっているみたいで、また、きのうねすぎたので、1時間半ぐらいねむれなかったが、なんとかなったみたいだ。

 Food:5.5$ L:3.5$ Di:3.5$

1980/8/1

 3時半ごろおきてみると、なにもなかったが4時頃おきてみると、雷が鳴っていた。これはやばい、24Hのレストランが近くにあるので、そこに行く、夜明けまで、ここにいようと思う。
 ※こうやってきてみると、20$のチェックが一番手頃なようだ。
 あとBayまで107Ml.だ。10時間はかかる。6時に出発したとして、4時まあ、そんなに悪くはない、8時までは明るい。
 途中でVi Vi Bagがないことに気づく、1時間半もどるのにかかる。つまり3時間おくれる。そう思うと戻る気がしない。49$したゴアテックスのシュラフカバーともこれでさよならしなくてはならないはめになった。
 きょうは最後の日だ。あれも道中いろいろ役に立ったんだ。
 きょうは曇り空だどんどん走る。New York Cityはすぐそこだ。ガンバレ、向かい風にup downが続く、あと30Mlぐらいのところで、Breakfirstをとり、必死で走る。
 Jeorge Washington Bridgeの近くまできたが、自転車はどこを通ってらいいのかわからない。2.3度聞いてやっとわかった。階段をかついで登るのだそうだ。なんてこった!NYは自転車のことを考えていないのか!
 銀行で国際電話のためのQuarterを10$かえた。日曜に電話するんだ!NYにはいった。めちゃくちゃきたないところだ。いろんなものがおちている。人々もなんとなくこわい感じがする。今までならみんな気軽にあいさつをするのに、こっちでは全くしらんふりをされる。みんなおっかない顔をしている。なにしろもっと中心にいかなければ、と思い、どんどん走る。車は自分勝手に走るし、歩行者は信号を全く無視し車の間をすり抜けて走る。Bradの家に電話するが、だれもいない。
 YMCAをさがすが、人に聞いてもほとんどの人は知らないといい、1時間ぐらいさがしてやっとわかった。Bradの家に電話してみると、男らしき人が出て、母はいないという、話があまり通じないのでYMCAに部屋をとる。
 シャワーをあびて、コーヒーでも飲みに行こうとすると、エレベーターをおりたところで、向かいのエレベーターからおりてくる日本人がいた。なんと東工大の顔見知りの人だった。
 なんという偶然だろう。彼はプールにいって、それからミュージカルに行くという、僕は少しやすみたいので、そのままわかれるが、また会う約束をしておいた。
 カフェテリアに行き、すこし食べ、GroceryでFoodとビールをかって、自分の部屋で食べる。そのままねむってしまい、おきたら12時ごろ結局彼はこなかった。

 Food:6$ L:2.5$ Di:2.5$ 泊:13$


【Jorge Washington Bridgeあと1マイル】

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